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- 八木亜希子(アナウンサー) 実は練習だったアナウンサー試験
実は練習だったアナウンサー試験
華やかな女子アナの代名詞、フジテレビアナウンサー室から突如として退社。フリーで活動をスタートし、3年後に結婚、そしてアメリカでの新婚生活。キャリア女性のアグレッシブな生き方を先駆けてきた八木亜希子さん。
アナウンサーになる為に行った努力、就職活動時の意外な心構えや退社のタイミング等、どのように考えどのような行動に移してきたのか。彼女の素顔に迫ります!
大学3年生から始める就職活動では、学んでいた心理学を生かしてのマーケティングや、テレビの制作、遊園地の企画などの仕事を考えていた。
苦手な時事問題対策の為、マスコミ受験の登竜門である早稲田マスコミセミナーのテストを毎週受けて、就職試験に備えた。
アナウンサー試験を受けようと決めたのは、本命の制作部門の試験よりも早い時期にアナウンサー試験があり、面接を受ける際の練習になるという友人の強い勧めから。
各テレビ局のOB・OGを友人や先輩をたどって探し、受ける予定となった3局(日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日)は全て、試験前に現役のアナウンサーに一人づつ会うことが出来た。
先輩の話を聞くうちに、アナウンサーがニュースからバラエティ番組の司会まで様々なシーンに幅広く対応出来なければならないことや、実際に現場に出て、たくさんの人にインタビューをしたり、リポートする仕事であることを知る。
元々人に興味があって心理学を学んできた自分にとって、共通する部分が多い仕事かも知れないと思うようになり、始めは練習のつもりだったアナウンサー試験が、本格的にアナウンサーを志望するように変わっていった。
日本テレビ、フジテレビのアナウンサー試験を受けたが、最初に内定をもらったフジテレビに入社。
「フジテレビアナウンサー・露木茂さんと俳優・露口茂さんの区別も付かなかった私が、フジテレビに就職しちゃった!(笑)そこからはもう、毎日が勉強でした」
同期の有賀さつきと河野景子とともにフジテレビの女子アナ“花の三人組”と呼ばれ、一気に華やかな舞台に上げられた。当時(1988年)はバブル全盛期。スポンサーを集めた接待ゴルフ大会での表彰式のプレゼンターが同期三人の初仕事となった。
しかし、打ち合わせで「バニーガールの格好をしてプレゼンターをするのはどう?」とまじめに聞かれ、ショックを受けた。
「その瞬間から、『向いてない』『辞めたい』と思っていました(笑)」。
バニーガールの衣装に関しては、同期の有賀さつき・河野景子と3人で相談。「それはイヤです、勘弁してください。せめてゴルフウェアかテニスウェアにはなりませんか」と懇願し、ゴルフウェアに落ち着かせることが出来た。
しかし以後もバラエティ番組の出演を含めて、自分が抱いていたアナウンサーという仕事のイメージとはかけ離れている現実に幾度も立たされた。入社1年目からアナウンサーを辞めたいと思うようになっていた。







